コーヒーマニアの中で人気急上昇の「猿田彦珈琲」。
最初は東京・恵比寿の小さいお店からスタートした「猿田彦珈琲」ですが、今や新店舗を次々にオープンさせています。
そんな「猿田彦珈琲」が成功した理由と社長の経歴と珈琲への想いについて紹介していきます。
「猿田彦珈琲」の魅力がたくさん詰まった記事なので、最後まで楽しみにお読みください。
猿田彦珈琲が成功した理由
「猿田彦珈琲」は2022年4月21日に仙台店、4月28日には亀戸店をオープンするなど、次々に店舗を拡大し、注目を集めています。
そんな「猿田彦珈琲」ですが、2022年のオープン時は東京・恵比寿に8坪という小さいお店でした。
そして、オープン当初1年ほどは毎月赤字で大変だったそうです。
ではなぜ、「猿田彦珈琲」が成功したかというと、「日本コカ・コーラ」から声がかかったことがきっかけになります。
「日本コカ・コーラ」の島岡芳和さんから「缶コーヒーのリニューアルを手伝ってほしい」と「猿田彦珈琲」社長の大塚さんに名指しで声がかかったのです。
島岡芳和さんは、恵比寿の小さいお店だった「猿田彦珈琲」を飲んでその美味しさから社長の大塚さんに声をかけたということです。
そのリニューアルした缶コーヒーというのは、「ジョージア」の香るヨーロピアンシリーズです。

その後も大塚さん監修を行い、「猿田彦珈琲」の知名度は一気に上がっていきました。
絵にかいたようなサクセス物語ですが、これもお店の名前の由来である「猿田彦神社」のご縁でしょうか?
近年では、珈琲だけでなく自家製パンにこだわった店舗をつくり、美味しいパンをきっかけに珈琲ファンを増やすことにも成功しています。
「猿田彦珈琲」のおすすめは浅煎りコーヒーなのですが、その浅煎りコーヒーとパンが合うのです!
焼きたてのパンの香りとあいまって、なんとも幸せな気分にしてくれます。
(パン工房があるのは、池袋店と亀戸店です。)
このようなことから、「猿田彦珈琲」の売り上げは右肩上がりに伸びていきます。
そして、2011年の開店から11年で全国に15店舗まで増え、コーヒーマニアにも熱く支持される珈琲店になりました。
猿田彦珈琲の社長の経歴と珈琲愛
では「猿田彦珈琲」を8坪の小さな珈琲店からここまで大きく成長させた大塚社長とはどんな方なのでしょうか?
社長の大塚朝之さんは15歳から25歳までの10年間、俳優として活躍されていた方なのです。
学業を続けながらオーディションを受け‥自分を売り込むという俳優の活動に疲れ、俳優を辞めてしまいます。
そのころの気持ちを次のように語っています。
役者を志していた頃、いちばん苦手だったのは、自分自身を売り込むことでした。「僕はこんなにすごいんです」ってことを僕にはできなかったんです。‥
UNO OTONA BIBLE
でも自分でコーヒー豆を売るようになり自分がいいと思ったものを、お客さんに「いいですよ」と言って売るのはなんて楽しいんだろうと思ったんです。
俳優を辞め目標が見つけれれない中、コーヒーの豆屋さんで働くようになりました。
このころたまたま見た雑誌に載っていた、ノルウェーのオスロにある「ヤヴァ」というお店に刺激を受け、『日本にもこんなお店があったら』という思いが「猿田彦珈琲」のはじまりだったといいます。
珈琲の虜になった大塚さんは、コーヒーマイスターの資格を取るなど、珈琲について勉強しお店を開くための準備をしていきました。
そして2010年11月に恵比寿の店舗をなんとか借りることができ、2011年6月8日に開店の日を迎えたのです。
その開店の日のツイートです。
「猿田彦珈琲」を開店してくださって大塚社長、ありがとうございます。としみじみ思います。
さいごに
以上、猿田彦珈琲が成功した理由と社長の経歴についてお伝えしました。
私は、成功のきっかけは大塚社長の珈琲への情熱と人柄だと思います。
そんな大塚社長を見て、いろいろな方が声をかけたり力を貸してくれたりして「猿田彦珈琲」は成長してきたのだと思います。
今は東京の店舗が多いですが、全国各地で「猿田彦珈琲」が楽しめるよう、さらに発展していってほしいと思います。