北京オリンピック スピードスケート男子500m日本代表の村上右磨(ゆうま)選手。
現在29歳の村上右磨選手は、代表入りを果たすまでは無名に近く、「遅咲きのスプリンター」と呼ばれています。
メンバー入りを果たした代表選考会では、日本スケート連盟が定めた選考基準のタイム34秒68を0.002秒下回る記録で最後の枠を獲得しました。
そんな村上右磨選手のこれまでの道のりや、ご家族とのかかわりについてご紹介したいと思います。
村上右磨の出身高校はどこ?
村上右磨選手を北京オリンピックで初めて見たという方も多いかもしれません。
こんな優しそうな笑顔の持ち主です。
リンクの上で滑る姿です。
足が長く伸びていてかっこいいですね。
村上右磨選手は3歳ごろから兄の影響でスケートを始めたそうです。
インタビューで当時を振り返っています。
スポーツ少年団に入っていた兄について、3歳のときに滑りに行ったのが最初です。ちゃんと最初から滑れたらしいので、スケートのちょっとした才能はあったのかな。(笑)
JAPAN SKATING FEDERATION
村上右磨選手の出身地は北海道広尾郡大樹町です。
大樹町は航空・宇宙分野での実験を積極的に誘致している町で、ホリエモンこと堀江貴文さんが宇宙事業の拠点として一度住民票を移したことがあるそうです。(2020年4月27日にTwitterで大樹町民をやめると投稿)
育ったのは北海道帯広市。
小学校は帯広市立森の里小学校です。
北京オリンピックにむけて母校の生徒さんからの応援メッセージが贈られました。

中学校は帯広市立緑園(りょくえん)中学校です。
サッカー部に所属していたそうです。
緑園中学校を卒業後、北海道帯広工業高校に進学しています。
村上右磨選手ご本人のFacebookの投稿です。
帯広工業高校にはスケート部はなく、村上右磨選手は陸上部に所属していたそうです。
帯広工業高校を卒業後、北翔大学(北海道江別市)に進学します。
ですが、3年生の時に中退してしまいます。
理由は学費をスケートへの費用に回すためとのことです。
スケートは最低でも年間300万円の費用がかかると言われているので、苦渋の選択だったのでしょうね。
村上右磨選手は、大学を中退した後、父親が営む「村上電気」に就職し、家業を手伝いながらスケートの練習に励みました。

写真は、太陽光発電所の点検を行う村上右磨選手(右)と父親の忠則さんです。
村上右磨は父親がコーチってホント!
3歳ごろからスケートを始めた村上右磨選手ですが、本格的にスケートの練習を始めたのは高校時代。
幼少期から高校までは父親の村上忠則さんに指導をしてもらっていたのです。

写真右が父:村上忠則さん。
優しい笑顔が村上右磨選手とそっくりですね。
村上右磨選手にスケートを指導していた父:村上忠則さんですがスピードスケートは未経験。
ただ、モータースポーツで全日本ラリー選手権に出場する腕前でした。
モータースポーツでは「人が苦手な下り坂を全開で走れば勝てる」と独自の路線を見いだした父:忠則さんは1993年の『全日本ラリー選手権 第4戦 ’』で7位に入賞するほどの実力者です。
仕事では電気の保守管理の会社「村上電気」を経営する社長であるお父さん。
理系出身理系ならではの発想で様々なサポートをしてきました。
例えば、車庫を改造してトレーニングルームを作ってしまったり、練習用の器具なども自作したそうです。
お父さんと二人三脚で頑張ってこられたのですね。
そんな努力の甲斐あって、2016年5月にナショナルチーム入りを果たします。
そして、2016年10月に行われた、全日本スピードスケート距離別選手権大会 500m では、優勝を成し遂げます。
その時の写真です。
前回の平昌オリンピック(2018年)では、前年夏にけがをした影響で、残念ながら出場権を逃してしまいました。
しかし今回、見事、村上右磨選手は北京オリンピックへの切符を手にしました。
まとめ
村上右磨選手の出身は北海道広尾郡大樹町。
母校、帯広市立森の里小学校からは応援メッセージが届けられました。
出身高校は、北海道帯広工業高校。
北翔大学に進みますが、3年生で中退。
その後は、父親が営む「村上電気」に就職し、家業を手伝いながら、父と二人三脚でスケートの練習に励んできました。
長い下積み期間を父:忠則さんと歩んできた村上右磨選手。
これまでの経験を北京オリンピックの大舞台で発揮してくれることを楽しみにしています。
遅咲きのスプリンター、村上右磨選手さんから目が離せません!!