ちゅらさんおばあ現在はどうしてる?珠玉の名言と経歴を紹介

ちゅらさんおばあ

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」で、ヒロインの古波蔵恵里(国仲涼子)の祖母「おばあ」の役を演じ、その存在感を日本中に広めた平良とみさん。

沖縄の「おばあ」役の代名詞といっても過言ではないほどの女優です。

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」から、20年以上経った今、平良とみさんはどうしているのでしょうか?

そんな「ちゅらさん」の「おばあ」役である平良とみさんについて、ご紹介したいと思います。

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目次

ちゅらさんおばあの現在は?

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」で、ヒロインの古波蔵恵里(国仲涼子)の祖母「おばあ」の役を演じた女優、平良とみさん。

沖縄芝居やテレビ、映画で幅広く活躍し、沖縄の「おばあ」の代名詞です。

「ちゅらさん」から20年あまり経ち、平良とみさんの現在はどうなさっているのでしょうか?

残念なことに、平良とみさんは2015年(平成27年)12月6日に87歳で亡くなられました。

死因は敗血症による呼吸器不全のためです。
那覇市の病院で死去されました。

平良とみさんは、「ちゅらさん」で大ブレイクした後も映画「涙そうそう」をはじめいくつもの作品に出演されました。
また、2014年に旭日双光章を受章、2015年9月には琉球新報賞を受賞されました。

「ちゅらさん」の時ははつらつとしてふくよかな「おばあ」のイメージでしたが、最後の方は痩せていて心配でした。それでも、平良とみさんは最後まで演技の道を生き抜いたのです。

穏やで温かい「おばあ」は、たくさんの人の心の中に残っていることと思います。

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ちゅらさんおばあの珠玉の名言

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」のなかで、「おばあ」はたくさんの「名言」を語っています。

時に励まされ、時に涙し、時に笑いをさそう名言の数々をお伝えします。


まず「おばあ」の予言は当たります。

電話が鳴る前に「鳴るよ。」

誰かが訪ねて来そうになるとき「誰か来るよ。」

「いちゃりばちょーでー」

一度会えばみんな兄弟みたいなものさー。

子ども時代:恵里のおじぃの墓の前で、文也の兄和也に

「嘘はいけないねお墓の前で。死ぬのは恐くないというのはおじぃやおばぁだけが言っていいことさ。あんたの年でそんなこと言ってはいけないよ。」

和也が死んだ後

「命どぅ宝」  命が一番大切

東京を訪ねてきた「おばあ」が、文也に想いを告げられず悩んでる恵里に

「初恋は、実らんでもいいさ。初恋というのはいい思い出さ。たとえ実らんでもいい思い出さ。おばぁのように思い出しても甘酸っぱい気持ちになってさ。思い出しただけでその頃の気持ちを思い出せるいい思い出さ。今のままじゃ文也君との思い出がだんだん辛い思い出になってしまうさ。今の恵里は、あんまり好きじゃないさ。逃げてるんじゃないかと思うさ。自分が傷つくのが恐くて、もう自分はいいさ。諦めたさと言って。嫌な想いをすることから逃げていてはいけないよ。ぶつかってみなさい。そうじゃないといい思い出にならないよ。おばぁは、逃げなかったよ。だからいい思い出になれた。」

この言葉で恵理は勇気を出して、想いを文也に伝えることができたのです。

私が一番心に残った言葉です。

恵里のおじぃの墓の前で、文也の兄和也に

「人間はきっと死んでからの方が長いかもしれないね」

大好きな言葉です。

「それでいいさぁ」

一つ一つの言葉に重みがあって、心にジーンとくる言葉ばかりです。
何回見ても、何年経っても、変わらない珠玉の言葉です。

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ちゅらさんおばあの経歴を紹介

平良とみさんの本名は平良トミ子(たいら とみこ)。
1928年(昭和3年)11月5日 沖縄に生まれました。

お芝居を始めたのは石垣島で小学校6年の時
島の沖縄芝居の翁長小次郎一座に入団。

小学校4年の時に、母と一緒に石垣島に渡りました。  
貧乏で貧しかったのでお給金を貰えればいいと思って芝居の道に入ったそうです。

昼間は学校に行って夜は掃除したり、幕を引いたり、お茶を入れたり雑用をしていたそうです。

戦時中に『沖縄の方言を使ってはいけない』と規制が出て、大人たちは標準語が出来なかったので、この頃から子役として使われる様になりました。

戦後、沖縄には20以上の劇団があり、当時の娯楽は芝居しかないので盛況だったそうです。

平良トミさんは、小学校6年から70年間以上
『沖縄の言葉は沖縄の文化、沖縄は自分の島、国の言葉を忘れたらいけない』
と沖縄芝居を続けてきたのです。

ちゅらさんで一躍有名になった「おばあ」ですが、実は30代ぐらいから「おばあ」役が多く、昔は「おばあ」と呼ばれると嫌だったとのこと。
  
その後、「ちゅらさん」や映画「ナビーの恋」で「おばあ」役をやって一躍有名になりましたが、出演作品は数多くラジオ・映画・ドラマ・CMと多岐にわたります。

その中の一部である映画作品をご紹介します。

映画
オキナワンチルダイ(1979年、高嶺剛)

パラダイスビュー(1985年、ヒートゥバーンプロダクション)

マリリンに逢いたい(1988年、松竹富士)

ウンタマギルー(1989年、パルコ)

うみ・そら・さんごのいいつたえ(1991年、ホネフィルム)

パイナップルツアーズ(1992年、スコブル工房)

きこぱたとん(1993年、「きこぱたとん」を作る会)

パイパティローマ(1994年、ピターズ・エンド)

GAMA 月桃の花(1996年、映画GAMA – 月桃の花を成功させる会)

BEAT(1998年、松竹)

夢幻琉球・つるヘンリー(1999年、高嶺プロダクション)

ナビィの恋(1999年、東京テアトル)

ホテル・ハイビスカス(2002年、シネカノン)

NOEL ノエル(2003年、ギャガ)

涙そうそう(2006年、東宝)

恋しくて(2007年、東京テアトル)

銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜(2008年、ワーナー・ブラザース映画)

南の島のフリムン(2009年、ゴリ監督)

真夏の夜の夢(2009年)

Wikipedia

平良トミさんのお芝居の歴史は夫の平良進さんとの歴史でもあります。
70年間、夫 平良進さんと一緒に沖縄芝居の心と方言を伝えようと励んでこられました。

そして、平良とみさんは2015年(平成27年)12月6日に87歳で亡くなられました。

敗血症による呼吸器不全のため、那覇市の病院で死去。

心をホッコリさせる「おばあ」の口調は、これからもずっと忘れることはないでしょう。

平良とみさんは、沖縄の「おばあ」ではなく日本の「おばあ」だと思います。

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ちゅらさんおばあについてまとめ

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」で、「おばあ」の役を演じた女優、平良とみさんについて、お伝えしました。

残念なことに平良とみさんは、2015年12月6日に87歳で亡くなられております。

しかし、沖縄の「おばあ」の代名詞としてたくさんの作品のなかにその姿は残っています。

NHK朝の連続テレビ小説 「ちゅらさん」はいつ見ても何度見ても色褪せない、素晴らしい作品なので、作品の中で「おばあ」に会えるのを楽しみにしたいと思います。

平良とみさん、素晴らしい作品を残していただき、ありがとうございます。

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